浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

羊頭狗肉/子ども育成条例の反対討論

二月議会最終日、「浜松市子ども育成条例」について、反対討論しました。

突然提出された修正案で国を愛する心」の追加、「子育て支援団体の削除」などで、ますます恥ずかしくなった条例。


修正案については、同じ一人会派の山口議員が討論することになったので、私は市から提案された原案について、目的が大きく変わり、看板と中身が違う「羊頭狗肉」条例になったことを討論した。

朝日新聞に記事載りました。

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第96号議案、浜松市子ども育成条例について、反対討論をします。


 この条例に関しては策定プロセスがおかしい、子どもの権利が明文化されてない、国を愛する心が追加されているなどなど問題は多々ありますが、時間が制限されていますので、ひとつの理由をあげて、反対とします。反対の大きな理由は条例の目的が当初の「子育て支援」から「子ども総合条例」そして最後は「子どもの健全育成」と大きく変わっていってしまったことです。


 3年前鈴木康友市長は、「こども第一主義」をマニフェストの一番に掲げて当選されました。浜松のこどもは浜松が育てる「子育て世代を全力で応援します」「地域一体の教育で未来の浜松をつくる」とあり、具体的には中学生までの医療費助成、保育園の待機児童ゼロ、産科医療の充実などをあげ、市民からの付託を得ました。



 その後、平成19年9月議会で、公明党の松下正行議員からの質問に市長は「浜松独自の子育てを総合的に支援する(仮称)こども第一主義条例を制定する考えについては、20年度の後期次世代育成支援行動計画の見直しとあわせ、計画の基本理念としての条例にしたい」と答弁されました。市長は、19年の時点では、子育てを総合的に支援するための条例、次世代行動計画の理念条例を目指していたはずです。そして、多くの保護者に子育て支援のニーズ調査を実施して、内容に活かすことを目指していました。



 平成20年7月30日の厚生保健委員会で、条例の目的として市からの説明では「子どもに関する施策を総合的に推進するための次世代育成行動計画の基本理念としての条例です」と微妙に目的が変わってきました。子育て支援に、子どもの育ち支援を含めたバランスのとれた総合的な条例なると私は理解し、期待が膨らみました。しかし、パブリックコメントを出す直前、突然に私たちの議員の机の上に(仮称)子ども第一主義条例が子ども育成条例と名称を変えるとの紙一枚がありました。この名称で混乱が生まれました。名称から「子どもを大人にとって都合のいい子を育成する」という考え、子育てを社会全体で支援する考え、また子どもを尊重し、その育ちを支援する考えが市民の中、議会の中で錯綜していってしまいました。


 国の次世代育成支援行動計画の策定指針では、「すべての子どもと家庭への支援の視点」が必要とされていますが、条例のどこを読んでも「家庭の支援」の文言はありません。社会全体で子育ての第一義的な責任を有する親の子育てを応援するのでなければ、子育てがしやすく、楽しいと感じれることはありえません。「親だけが、家庭だけが頑張れ」と時代に逆行したメッセージは少子化はさらに進んでしまうことにもつながります。



 今回の修正案では、子ども・子育て支援団体は、子ども育成団体となりました。子どもの健全な育成に携わる団体を定義するとのことなので、現実的には原案とは変わりはないと解釈していますが、やはり子育て支援という言葉がなくなることで、この条例の目的が「子育て支援」、子育てをしている家庭支援、これから子育てをしようとする人たちへの支援がさらに明確でなくなってしまいます。私が子育て支援の活動をし始めた20年前は、子育ては母親だけがするものと言われ、子育て支援という言葉は存在しませんでした。この間親の子育てを支援する事業は、民間が先行する形で動き、その後行政が追随をしていくという形でした。例えば、民間団体が先行して実施していた、母親のリフレッシュや自己実現のためにも子どもを預けあうことができる仕組みは、今ではファミリーサポートセンターと行政サービスの一環となり、多くの子育て世帯が利用できるようになりました。子育て情報支援、外国人の子どもへの支援などは民間なしでは成り立ちません。親たちが子育てがしやすく楽しいと感じられるためには、行政サービスだけでは不十分で、民間団体や地域社会の支えが豊かにあってこそ、実現できるのです。それは市長が掲げている「市民協働」の精神そのものではないでしょうか?子育て支援団体のサービスが充実しないと何より困るのは、子育て世代、そしてこれから子どもを生もうとする人たちです。私たち議員が一番大事にしなくてはならないのは、政治的なかけひきではなく、市民の幸せではないのでしょうか。


 どうしてこんなに目的がぶれてしまったのか。それは、条例をつくる最初の時点で「企画」や「フレーム」がきちんと設定されていなかったからです。地図をつくらないまま、ゴールをしっかり定めないまま、広い海に航海に出てしまったのです。その上、今浜松の子育て環境をめぐる課題、子どもをめぐる課題がしっかり掘り下げることなしに、条例をつくること、それもこの二月議会に通すことだけが目的化してしまいました。家庭の養育力を問題にするならば、「いまの親が悪い」と親や家庭の責任を追求するだけでは何ら解決になりません。家庭の養育力を補完するには何をするか、それが政策です。子どものいじめ、虐待、自殺、不登校などの増加に目を向ければ、上から目線で「よい子になれ」と言っても解決しません。子どもの人権侵害の救済をどうするかはを真剣に考えなくてはならない課題です。しかし、その他にも市民の皆さんから多くの声をいただきながら、小手先だけを直し、言い訳をし、議論の矛先から逃げ、市民と一緒に考え、議論し、協働して、つくっていこうとする気概を感じられませんでした。


 条例というのは、市と市民との約束です。いくら理念条例といっても、市は条例に縛られ、条例を基本にすえて計画を立て、事業や予算を決めていきます。そして、条文化されることで、市民の考え方を誘導していきます。しかし、きの看板は次世代育成支援行動計画の理念条例といいながら、実際には子どもの健全育成と看板と中身があっていない、大変お粗末な出来の条例です。こんなぶれた、いびつの条例は、一度取り下げ、もう一度市民と一緒につくり上げべきでした。理念条例だったら、ちっとも急ぐ必要はなかったはずです。

 市長、あなたは何のためのこの条例をつくりたかったのですか?
何を解決するためのこの条例をつくりたかったのですか?
市長の子ども第一主義って、子どもを第一に考えるということではなく、大人にとってよい子をつくる健全育成のことだったのですか?

今まさに子育てをしているお母さん、お父さん、悩んだり困っている子どもたちに役立たない、「絵に描いた餅」条例です。

反対します。