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浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

参議院選挙 マニュフェストを読む会 第一弾!

参議院選挙、近づいてきましたね。

私たちの思いを受け止め、代弁してくれる党はどこなのか、
しっかり見極めなくちゃ。

ということで、
海の日の15日、マニフェストを読む会第一弾、やりまーす。

マニフェスト?公約?徐々に集まってきていますよ〜〜。

●日時 7月15日(月 祝) 午後2時から

●場所 東区半田山2-5-10 
    053-431-1511

[浜松のよいトコ]浜松初代市長は、初代商工会議所会頭!

浜松市はこの7月1日で102年になった。

その102年前、浜松市長は、鶴見信平さんだった。(半田出身っていうのが、身近に感じる〜〜)

さて、初代浜松市長、鶴見信平さんって、どんな人だったんだろう?ご存知ですか?

浜松市の初代の市長だけでなく、初代の浜松市商工会議所会頭だったですって。

わ〜〜、政治だけでなく、産業、経済のリーダーシップを握っていたんだ。

その当時から、商工会議所会頭、市長が同一人物だったことからして、浜松は産業、経済と政治が密接に関わってきたんだとう。そこに、民藝運動、街道文化がどう関わってきたか。
う〜〜ん、面白そう。

浜松ができた明治43年頃って、どんなだったんだろう?
興味ワクワク。


ちなみに、今年浜松市商工会議所設立120年で、様々なイベントの予定されているようだ。


浜松情報BOOKによると、

1848(嘉永1)年10月10日長上郡半田村(現:浜松市東区半田町)に小杉家の次男として誕生した後、伝馬町の老舗旅館「大米屋」鶴見家の養子となる。

1893(明治26、45歳)年、浜松商業会議所初代会頭、浜松貯蓄銀行設立、浜松米穀取引所理事長、浜松信用組合役員などを務め浜松経済界の発展に貢献した。

1889(明治22、41歳)年の浜松町制施行後、初の町会議員を務め、1905(明治38、57歳)年から2期町長を務めた。
特に1906(明治39、58歳)年、鉄道院浜松工場(現JR東海浜松工場)誘致を積極的に行い、当時、軽工業中心だった浜松が、その後大きく産業発展する大きな礎を築いた。

1910(明治43、62歳)年、浜松は3万5千人の人口を超え、市制施工条件が整ったことから浜松市が発足。それと同時に鶴見町長が市長となった。市長退任後まもなく病に倒れ、1914(大正3)年1月22日67歳で死去。墓は鹿谷の善正寺にある。