浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

犀ヶ崖資料館、今年度で閉鎖?

「犀ヶ崖資料館」が今年度いっぱいで閉鎖されるとの話を聞いた。

9月下旬地元自治会などの方を市役所に呼んで、口頭で(のちに文章で)「犀ヶ崖資料館は、耐震診断結果がよくないので、今年度で閉鎖する」と説明があったそうだ。


徳川家康の浜松時代を語るとき、三方原合戦の負け戦なしには語れない。市をあげて応援していり家康くんが好調なのに、開かれた議論ないままに家康ゆかりの場がなくなることにとっても違和感を感じるの。

それに、犀ヶ崖資料館ってもともと三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂なんだって。

遠州大念仏も犀ヶ崖の戦いの後、犀ヶ崖の底から転落死した武田兵の霊のうめき声が聞こえて来るようになり人々が恐ろしがったので、家康は僧侶の宗円を招き武田兵の霊を弔うための供養を行い、それ以後うめき声は聞こえなくなり、その供養が遠州大念仏の起源なんだって。

そうした因縁のある建物を簡単に取り壊してしまうって、どうなの?

たたられるんじゃないの〜〜と背筋がぞっとする。

また、敗走中の家康をめぐる逸話から、現在も小豆餅、銭取、布橋の雪などの地域の和菓子が生まれている。

家康を「出世のまち 浜松」のシンボルとして使うのなら、犀ヶ崖資料館を含む地域資源をどう活用し、どうアピールしていくかを包括的に考えたらどうなのだろう。





<犀ヶ崖資料館>

犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。
この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。
昭和58年4月開館。

<参考資料>

平成22年度 「公共建築物耐震補強計画
 「耐震補強」の対象施設に
平成24年度 「公共施設再配置計画」で検討