浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

公園から始まった

 
  小学生の頃、毎日のように近くの神社内にある公園で、近所の同級生や子どもたちと鬼ごっこをしたり、缶蹴りをしたり、ブランコを乗ったりして、日が暮れるまで遊んでいた。「小さい子のためのルール(とうふ)」を作って、妹や弟たちも遊べるように工夫したり、お兄さんやお姉さんに遊び方を教えてもらったりした。当時はゲーム機などないから、雨が降っていない限り、公園に集まり、年齢関係なく遊んだ。携帯電話がないから、公園のブランコをゆらりゆらしながら、女の子同士で「あの子のことが気になるんだ〜〜」なんてませたカミングアウトなどをしたものだ。公園がまさに子どもたちの社会そのものだった。

 小学校六年生のある日、公園のブランコが壊れた。
「このまま置いておくと危ないよ。」
 誰かが言った。
 「ブランコも危ないけど、滑り台のペンキもはげてきて、汚くなってきたね」
 「この間、トイレ我慢出来なくってさ〜〜」
 「きゃあ〜〜、草むらでしちゃったの?やだ〜〜」
 「こういう時公園にトイレ、あるといいよね」
いつの間にか、公園の滑り台の上が「公園をよくする」ための子どもたち同士の話し合いの場になった。

 「本当に直してしてくれるといいね」
 「私たちの意見、地域のえらい人に伝えようよ」
 「でもさ、子どもの意見なんて、聞いてくれるのかなあ」
 「やってみなくちゃ、わからないじゃん」
 「やってみる?」

 そんなやりとりがあって、登校班の班長だった私がみんな意見をまとめ、紙に書き、地域のえらい人に(たぶん、自治会長だったと思う)、何人かで「ようぼう書」を渡しにいった。

 地域のえらい人に「ようぼう書」出したけれど、私は数ヶ月後に小学校を卒業し、中学生になってしまったので、公園で遊ぶこともなくなり、「ようぼう書」のことはすっかり忘れていた。
 
 でも、地域の方はしっかり覚えてくださっていた。私たちの意見を聞き(たぶん、自治会の予算をつけたり、市へ補助金の申請などをして)、ブランコはなおり、滑り台だけでなく、全部の遊具のペンキが塗り替えられ、トイレが設置された。
 
「伝えることの大切さ」も公園で教えてもらった。
 
 あの滑り台の上での話し合いが、「みんなでアクション!」私の政治の原点だ。