浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

浜松とへちま

明治〜昭和40年ごろ、浜松がへちまの生産、品質が世界一だったこと、ご存知ですか? マイクロプラスティックを削減するために、へちまの復活を!と活動を始めようとしている団体から相談があり、それじゃあ、私はへちまと浜松の歴史について調べようということで、中央図書館の郷土資料室へ。 (ここ、夏休みの自由研究ほか、調査にすごく使えます)

 

浜松シードバンク・シードカフェ

「浜松から西鹿島までへちまの棚をつたっていくことができる」とまで言われたようで、栽培の中心は、笠井と浜北。 糸瓜は、タワシだけでなく、帽子、帽子の芯、スリッパ、靴の中敷、機械油のフィルターなどに使われ、海外で重用されたようだ。 へちま、落花生、生姜、南蛮が遠州四品と言われていて、海外輸出をされていた。 明治32年には、パリの万博にへちまなどを出品、好評を得、多くの国に、輸出されていった。

 

それを後押ししたのが「織田利三郎」。

パリでの万博では、巨大の象の模型を作り、これにへちまをはりつけてて、展示した。その写真を見たが、ポップで斬新。 織田利三郎は、浜松で大規模の博覧会を開催したり、浜松町農会、静岡県生姜糸瓜蕃椒落花生同業組合などを設立し、地域の産業振興に尽力した。

 

高町の奥山半僧坊浜松別院正福寺には、織田の功績を称えて、正面に利三郎の肖像画がはめ込まれている塔がある。

現在の田町にあるカスミヤは織田が開いた店舗で、100年を越えて営業中。

 

まだまだ知らない浜松を見つけることができた。学びは楽しい。