浜松HAPPY化計画ブログ

鈴木めぐみが見つけてきたあんなコト・こんなコト

遠州縞の日傘

地域の宝物「遠州縞」にはまっています。


遠州縞」の日傘の試作です。


昔ながらの模様なのに、ポップなの。

遠州縞の日傘をさして、しゃなりとまち歩こうっと。


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遠州縞」という遠州地域に昔から生産されている縞木綿。

浜松の三大産業のひとつは織物。小幅の綿織物が盛んで、その中でも縞木綿は、
浜松の繁栄に相当な寄与をしたものです。

でも、知られていない。せっかくの地域の宝を活かしきれていない。

浜松の和雑貨屋さんにいっても、遠州縞でできている雑貨モノひとつも
ないんだよ。ホント、残念。

昔ながらの柄もいいけど、
新柄もいいのよ。
ポップでキュートな柄なんだから。

のびゆく浜松(中学校編)から

●工業のおこり

 遠州地方の農民たちは、手機で綿布を織り衣料を自給してきましたが、
19世紀になると、農家の副業として綿織物の商品生産が始まりました。
 縞木綿は、先進地域の尾張・伊勢の影響を受けて発達し、笠井の市で
集荷・取り引きされたので、笠井縞(河西縞)とよばれました。現在の
浜北市を中心に、積志・中郡・笠井付近が主な生産地でした。
 1835〜1836(天保6〜7)年には、農家の子女をやとって
工業生産を行う織屋も出現しました。これは、遠州地方のマニュファクチュア
の芽生えとなりました。

●小山みい(1821〜1892)
 遠州三大産業のひとつである綿織物の事業家に努力した功労者のひとり
です。1840(天保11)年、芳川の都盛から上中島村(現在の中島)の
小山豊太郎のところに嫁いできたみいは、藩士の家に奉公して機織りの技術を
習得しました。その後、工場を建て工女を雇い、その技術を伝えたり、
同業者を集めて永隆社を組織したりして、織物業界の発展につくしました。

*蒲神明宮に小山みいをたたえた灯籠が今でもあります。