<浪江町>
浪江町はこの3月に避難解除が出て、徐々に住民が戻ってきているところ。といっても、すべての住民が戻ってくることは難しいだろう。
浪江町仮説商業施設「まち・なみ・まるしぇ」と立派な庁舎ができていた。
<南相馬市小高地区>
南相馬の中でも、放射線量が高く、帰還困難地域だったところだ。
そこで、震災後、有機農法で酒米をつくっている根本さん(81歳)から話を聞いた。
平成24年から警戒区域解除を受けて、試験的に耕作。放射能が出なかったが、イノシシにやられた。
平成25年、イノシシの被害は防いだが、線量が基準値を超えた。瓦礫除去作業の影響ではないかと根本さん。
それ以降は出ていない。
現在は、酒米(おもち)を7反歩を無農薬で育てている。うるち米の倍以上の単価で売れている。
平成28年の避難指示解除で単身帰宅。
近隣で帰っているのは1〜2割。
<相馬市>
震災後の8月、盆踊りの浴衣着付けボランティアで、伺ったところだ。
当時は港方面は、津波にやられ、そのままの姿で残っていた。
現在は太陽光発電「畑」になっていた。
市役所や市民ホールが新しくなっていた。
復興予算があったからなのかなあ〜〜
*最後の写真は2011年の相馬市。